宇山会長コラム

「循環するメタン:バイオからメタネーションまでの最前線」 第1回:全体像と位置づけ

―メタンという分子が描く地球と人間の循環構造―

メタン(CH₄)は地球上で最も単純な炭化水素でありながら、人類の文明と気候の両方に深く関わってきた物質です。炭素一つと水素四つ、たった五つの原子の組み合わせがエネルギー、環境、生命、そして経済の結節点に位置しており、それがメタンの特異性です。
メタンは燃やせば二酸化炭素(CO₂)と水(H₂O)を生じ、単位発熱量あたりのCO₂排出量が石炭や石油より少ないため、「比較的クリーンな化石燃料」として長く重宝されてきました。日本の都市ガスやLNG発電も主成分はメタンです。しかし同時に、メタンはCO₂の約28倍もの温室効果を持つ強力な気候影響ガスでもあります。排出されたメタンは十数年間大気中で酸化されるまで温暖化に寄与します。この二面性こそがメタンの本質であり、「使い方次第で課題にも解決にもなる炭素分子」なのです。


地球大気とメタンのゆらぎ

産業革命以前の大気中メタン濃度は約700ppb(10億分の1)でしたが、現在は1900ppbを超えています。増加要因の約6割が人為起源で、主な発生源は農業(家畜の反芻)、廃棄物処理、化石燃料の採掘・輸送などです。一方で湿地やシロアリなど自然起源も多く、メタン循環は「生物圏・大気圏・地圏」を横断するネットワークを形成しています。
大気中のメタンはヒドロキシラジカル(OH)により酸化されCO₂と水に分解されます。この過程が大気の自浄作用を担い、メタンの寿命(約12年)を決めています。もしこの反応が鈍れば、温暖化はさらに加速します。つまり、メタンは単なる温室効果ガスではなく、「地球の酸化還元バランス」を映す化学的バロメーターでもあるのです。


エネルギー資源としてのメタン:天然から合成へ

メタンは地質学的には「天然ガス」として存在しますが、近年注目されているのはバイオメタンです。バイオメタンは有機廃棄物を嫌気性発酵で分解して得られるバイオガスから不純物を除去し、メタン濃度を高めたものです。農業残渣、下水汚泥、食品廃棄物など地域に散在する炭素資源を再利用することで、循環型社会の中核を担う再生可能燃料となります。
さらに、再生可能エネルギーで得た水素(H₂)とCO₂を反応させてメタンを合成する合成メタン(SNG:Synthetic Natural Gas)も進展しています。この技術は「Power-to-Gas(PtG)」と呼ばれ、余剰再エネ電力を化学エネルギーとして貯蔵し、電力とガスをつなぐ仕組みです。天然ガス(化石)・バイオガス(生物)・合成メタン(再エネ)の三つの流れが、いま「メタン」という分子を介して一つの循環に結びつきつつあります。


Sabatier反応とメタネーションの系譜

この単純な反応式こそ、いま注目されるメタネーション(methanation)の核心です。1902年にフランスの化学者ポール・サバティエがニッケル触媒を用いて発見したこの反応は、当初は合成ガス精製に使われていましたが、21世紀に入りCO₂削減と再エネ利用の文脈で再評価されています。
現在のメタネーション技術は触媒を用いる化学的メタネーションと、メタノーゲンと呼ばれる古細菌群を利用する生物学的メタネーションに大別されます。前者は反応速度が速くスケールアップに適し、後者は低温・低圧で運転できる利点があります。両者を組み合わせたハイブリッド化も進みつつあります。メタネーションの根底にあるのは「炭素を回す」という発想であり、CO₂を“排出物”から“再利用可能な炭素源”へ転じる視点の転換こそがこの反応の意義です。


バイオメタンが担う炭素循環の要

メタン循環の中心にあるのは生物系の炭素フローです。植物や微生物が光合成・分解・発酵を通じて炭素を移動させ、その一部がメタンとなり、再びCO₂に戻る。この自然の循環を人為的に制御し、社会のエネルギーシステムに取り込むのがバイオメタン技術です。
農業残渣や食品廃棄物からバイオガスを得て都市ガスに注入するモデルでは、地域に分散する炭素資源が再び燃料として社会を支えます。排出されるCO₂も生物由来であるため、全体としてカーボンニュートラルが保たれます。さらに副産物の消化液や汚泥を肥料に再利用すれば、地域内で物質循環が完結します。
バイオメタンは「化石燃料の代替」ではなく、「自然と社会の接点にある再生可能炭素」です。その延長上にCO₂を原料とするメタネーションや合成メタン技術が位置づけられます。すなわち、バイオメタンとメタネーションは連続する“炭素循環のスペクトル”の両端にあるのです。


未来に向けて:メタンから見える循環社会のかたち

メタンをめぐる動きは世界中で加速しています。欧州では再エネガスの導入とガスグリッド注入が進み、バイオメタンが都市インフラの一部となっています。北欧ではCNG車の多くがバイオメタンを燃料とし、農業とエネルギーを統合した「カーボン・ネガティブ地域モデル」も生まれています。日本でも下水処理場や食品工場、畜産施設を拠点に実証プラントが動き始めました。再エネ由来の水素とCO₂を組み合わせたメタネーションが展開すれば、電力・ガス・資源を横断する新たな循環基盤が築かれるでしょう。

次回は、嫌気性発酵の微生物群集、反応段階、前処理や抑制因子など、バイオメタン技術の科学的基盤を紹介します。メタンという小さな分子を通して見えてくるのは、単なる燃料ではなく「自然と産業をつなぐ知のネットワーク」です。21世紀のエネルギーシステムは資源の採掘ではなく、炭素をいかに循環させるかにかかっています。メタンはその設計の鍵を握る分子です。その小さな構造の中に、私たちの未来が凝縮されています。



宇山 浩 / 大阪大学 大学院工学研究科 応用化学専攻 工学博士

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